其れは案外呆気ない始まり
月の無い暗い夜、一人の少女が息絶えた。
寒空の下寂しく転がる骸に幾つかの鬼火が集い、やがて少女はゆっくりと起き上がった。
自分は眠っていたものだと思ったが、おかしい。
眠る前に有った酷い空腹が今は無い。
感じていた沁みる様な寒さも幾らか柔らかく思えた。
暫くの間、どうしてか、考えてもわからないか、等とその場に座り込み首を捻っていた。
さて、しかし考えたところで何も解決しない。
それに、眠る前からの大きな問題がまだ残っている。
かえりみちがわからない
足元もただ黒い夜の獣道で下手にうろつくのも良くないだろうし、じっと朝を待つ事にした。
地面に手を置くと、眠る少し前に齧ったほおずきの実が触れた。
そういえば余りにも空腹が酷かったので、暗闇にほんのり明るく見えたこの実を頂戴し、少しだけ齧ったのだった。
それを手にぼんやりと眺めて居ると、近くで物音がする。
音のする方に目をやると、茂みから大きな人影が出た。
「子供?」
人影は少女を見て少し驚いた様子だった。
「亡者でもない様ですね、どうしたんですか、こんな所に座って」
少女が黙っていると、その影は少女の前に屈み込んで言葉を続けた。
「鬼…ですか?」
手にした灯りを少女の前に翳し、首を捻る。
少女はゆっくりと顔を上げ、声の主を見た。
その目は鋭く、額の真ん中で分かれた髪の間からは角が覗き、口の中には鋭い牙のある男だった。
少女は驚き、思わず首を振る。
「お、鬼…わ、わたしは鬼ではないです、あ、あなたが鬼です」
「ええ、そうですが、あなたもでしょう」
少女の額の辺りに男は手を伸ばし、小さな角に触れた。
「ほら」
少女は一瞬何事か理解出来ない様子だったが、ほら、と言われて自らの小さな手を額に当てる。
「あ、つの」
「どうやら自分が何なのかわからないらしいですね…耳も人のそれとは少し違うはずです」
「わ、本当です」
漸く自分の姿が少し変わった事を理解したらしい少女は、解せぬ、と言いたげな様子で眉をひそめる。
それを見て男は小さく息を吐き、話し始めた。
「あなたは見たところ人柱でもなさそうです、ここで何をしていたんですか?」
「わたしは、迷っていたところです」
「こんな夜に?一人でですか?」
「はい、この山へ来た時はいっしょに村の人がいましたが、はぐれてしまいました」
言うと少女は目を伏せ項垂れた。
「ああ、ではどこかの村に住んでいたんですね?」
「はい…」
男はまた一つ小さく息を吐き、続ける。
「…あなたはもう元居た村には戻れません。何しろもう人ではない」
「はい、でも、もどらなくてもいいです」
少女の消え入りそうな声に男はちらりと目を上げ、その顔を見た。
先程の気の抜けた様子はなく、幾らか沈んだ、暗い表情だった。
男は唯じっとその顔を見るのも何と無く気が引け、ふいに少女の手元に目を落とす。
手の中に、少し欠けた赤い実。
男は向き直ると、ほんの少しだけ笑い言った。
「あなた、もしかしてその実を食べたんですか?」
「あ、これ、はい…苦かったです」
「そうでしょうね、強くはないですが毒があります…随分お腹が減っていたのでしょう」
「はい、でも…眠ったらお腹が空いたのは少し平気になりました」
「もう少しマシなものを食べさせてあげましょう」
「え、ありがとうございます」
「付いて来なさい」
男が踵を返し歩き始めたので少女も後に付いた。
暗い獣道はいつの間にか湿り気の有る暗い洞窟の道に変わっていた。
「あ、そういえば、あなたの名前は」
「名前は…無いです」
「無い、ああ、では付けてあげましょう、今。そうですね…今日は月が見えなかったので、無月。暦も同じ音で、ちょうど良い」
「むつき」
「あなたがどんな風にして私と出会ったのか、思い出せるよう」
男は幾らか楽しそうな弾んだ声で言った。
「はい、ありがとうございます」
「あと、あなたは私を兄としなさい」
「え、あ、はい、無月はあなたの妹です、あ、あなたの名前は何ですか?」
「ああ、無月が手に持っているその実と同じ名前ですよ」
言われて無月はまだ手にあの実を持っていることに気づいた。
「えーっと…何だっけ、ほ、」「鬼灯です」
「あ、そうです、鬼灯、鬼灯さま」
「呼ぶときはお兄ちゃんで良いですよ」
「はい、お兄ちゃん…かじってごめんなさい」
「ははは、面白い子ですね」
洞窟を抜けたらしく、少し視界の開けた場所に出て来た。
「さて、もう少し歩きますよ」
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