傀儡女の唄 夜に月
「嗚呼、そうでしたか…」
呟くと小さな籠に転がり落ちる塊を抓み上げる。
先刻まで生き、可愛らしく囀って居た其の白い塊は既に硬く冷たくなっていた。
嘴を大きく開いた其の様相は恐らく苦悶の痕なのだろう。
「可哀相ですね。ほら見て御覧なさい?」
明智はゆっくりと白い塊をむつきの眼前で揺らして見せる。
薄く開かれた虚ろな目が其れを追った。
「私は一つも音を出しませんでした、ねぇ?」
虚ろな目を見ながら呟き、冷えた細い手を伸ばす。
手を頬に添えられると其れを追っていた目はゆるり、と上がり手の主の方向へ。
「ん」
響いた一音。
そうして不思議そうに首を傾げると又、向けられていた目は白い塊に戻ってしまった。
意味を解して居ないのであろう其の様子に、く、と喉の奥から笑いが零れ、明智の口角は自然と吊り上がる。
「むつき、貴女の出した音なのですよ」
其れでも意味を解していないのだろうか、むつきは白い塊に目を奪われた儘頷くだけだった。
「おや?解っていない様ですね」
語気に込められた何かを察知したのか、今度は顔を上げじっ、と先程と同じ方向を見ると口を開く。
―おとが なぁに
僅かな音しか伴わない言葉が辺りの空気を柔らかく振るわせた。
むつきはそうして又、首を傾げる。
恐らく他の人間には耳を澄まさなければ届かないであろう僅かな空気の振動。
しかし明智は慣れて居るらしく、特に何かを気遣う訳でも無い、普段と変わらぬ速度で言葉を返す。
こう言った遣り取りは常日頃の事であった。
「いえ、むつきが出していた声で、此れは命を落としたのですよ」
再度抓み上げていた白い塊を左右にゆっくりと揺らすと、虚ろな目は又其れを追って左右した。
―いのちを
空気を振るわせるだけの言葉は続く。
「ええ、可哀相ですね」
―かあいそう
鸚鵡返しするのを聞くとあはは、と笑い一筋髪を撫で下ろした。
「今日は疲れたでしょう、おやすみなさい」
―おやすみなさい
白い月が弧を描いていたのはほんの一刻前。
今は其れも明ける空の白に混ざり薄れ、見えなくなっていた。
後に響くのはただ、安らかな寝息。
むつきの声帯に問題は一つも無く、音は出す事が出来た。
しかし発音する為に必要な舌の長さは足りず、明瞭な発音は出来ない。
慣れて居なければ意味を汲む事は難しい。
形容すれば、声を潜めて何か囁いている、程度の音量で、言葉自体も不明瞭で判断し難い。
原因は明智の行動であったが、其れはむつきの物心が付く前の出来事であり、少女の記憶には存在しない。
眠ってしまったむつきの髪を優しく撫で、明智は小さく呟く。
「私はあの時何を怖れて…ああしたのでしょうねぇ」
徐に薄く開かれた唇に手を置き少し力を加えると、小さな口をこじ開ける。
其処から覗いたのは短い舌だった。
「見たかった、のでしょうか…嗚呼もう思い出せませんね、あはは」
短く切られた其の舌は動く事を忘れて居るかの様で、口をこじ開ける指には生温かい空気だけが触れた。
「しかし意外ですね…こんな事になるとは思っていませんでしたよ」
ゆっくりとした動きで其の指を口から離すと、明智は小さく笑いながらゆらり、と立ち上がった。
白み始めた空を鬱陶しそうに目を細め睨むと、もう一度笑う。
そうして寝息を立てる其の小さな生き物を足元に見、す、と静かに自分の着物を正す。
音も無く部屋の扉格子を閉じ錠を掛けると、愉しいと言う事を禁じ得ないのか自然と口元に笑みを浮かべ、部屋を後にした。
「嗚呼…今度は人で、試してみましょうか」
数日後の夜。
月明かりが格子から幾筋も射し込み、影と共に美しい形を描いている。
其処を支配していたのは不明瞭な言葉。
言葉は拍子を伴っていて、所謂「唄」と呼ばれるようなものとして響いていた。
「嗚呼、良い声で啼きますね…」
明智は妖しい笑みを浮かべた儘其の声に聞き入っている。
「う…あ…」
聞き入る其の傍らに蹲る人影が有る事を除いては、何の事も無い光景だった。
「おや、如何しました?頭を抱え込んだりして、」
蹲り尚も苦しいのか、不明瞭な言葉の其の唄を遮る様に男は言う。
「光…秀様…何です…かこの…」
途切れ途切れに息の混じる其の声は苦痛に満ち溢れていて、明智を満足させるものであったらしい。
暫くの間笑みを浮かべた儘、其の光景の中に居た。
「あぁあ…光秀…様…この唄を、止めて下さっ…」
しかし直ぐに苦しみ悶える声に飽きたのか、表情は瞬時に一変する。
途端無表情になると鋭い鎌を高く掲げ、一言吐き出した。
「嗚呼…五月蝿いですね、もう良いですよ?」
ひゅ、と冷たい音が辺りに響き渡ると男の声は途絶え聞こえなくなっていた。
再び其処を支配するのは、其の唄だけ。
「きちんと覚えたのですね、良い子ですよ…むつき」
言葉にむつきは唄うのを止めると小さく頭を下げ頷いて見せる。
後に続いたのはく、と漏れた笑い声。
「むつきの唄はとても綺麗ですよ」
顔を上げてからぼんやりとした儘だった少女を優しく撫で、直後手にしていた鎖をぐい、と引いた。
鎖の先はむつきの首輪に繋がって居り、引かれた拍子に丁度顔を上げさせられて居るような姿勢になる。
「ん」
喉の詰まった様な音を出しじっ、と引いた主を見た後に、今度は目だけを伏せた。
足元には、朱の池。
伏せていた目を戻すと、小さな口を開く。
―かあいそう
「あはははは、面白い事を言いますねぇ」
言葉に愉しそうに笑うと鎖を引く手を緩め、細く自分に良く似た其の白い髪を指に絡めた。
「ええ、可哀相ですよ、とてもね」
白い光に照らし出される朱は目にも鮮やかで美しく、部屋の隅の影の黒さが其れを際立たせている。
明智は又愉しそうに笑うとむつきを抱き上げ言った。
「又、唄って下さいね」
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