あした「僕」はいなくなる

両手の親指を背中合わせに、太陽に翳す。
足元に落ちる黒い影を、女児はじっと見つめた。
「とり」
女児の見た形は少年の思惑と違ったけれど、少し楽しそうに輪郭をなぞる指を見て、それでも良いかと思う。
「蝶々の筈だったんだけど」
上手くいかないな。と、ぽそり。
微かに零れた呟きは、それでも女児の耳に届いたようで、額にかかる黒髪の下で眉根が上がるのが透けて見えた。
今日は天気が良い。
「ごめんなさい」
「ううん。うまく出来なくて」
今度は自分の足元に影を落とす。確かに蝶には見えなかった。
「翅が大きすぎるんだ」
少年の指は長く、横腹を合わせた影の形も蝶の翅と言うには長過ぎた。
少年は背が高く、地面に落ちる影は大きく広がり、まるで翼のようだった。
「ベルトルトは、おおきいから」
「え?」
「てが、おおきいから」
「ああ、うん」
膝を折り、女児の隣に屈みこんで、その小さな手を取る。
「リリスの手が小さいんだよ」
ベルトルトは、何も知らない女児の言葉に一瞬怯えてしまった小心者を笑った。
今なら、曖昧な笑顔の理由を誤魔化せる。
「あしたは、おるすばんなの」
少し遠くを見ながら、リリスが言う。明日は壁外調査があるという話は聞いていた。
「ベルトルトも、おしごとなの?」
「ううん、僕は…」
寂しいのだろう。
けれど、家族が帰って来る事を、当たり前の事として疑っていない。彼女は、彼らの仕事が往々にして死と直結する事も、知らないのだろうか。
「僕は、壁の近くに行くだけ」
手遊びのように、そこに影を落とすだけ。不格好に、大きすぎる手を、太陽に翳すだけ。
「明日は、すぐに戻って来るよ。多分、夜には」
「ほんと?」
「うん」

うまくいけば、彼らも戻って来るだろう。外の調査よりも大事な事がある。
それより先の事は忘れて、ただ明日彼らが戻る事だけを考える。それは彼女の喜びに繋がるだろうか。

「うまくいくといいな」
小さな呟きを今度は拾わずに、女児は手を蝶々の形に組んで太陽に翳していた。
その影は小さく、薄く、まるで蝶のように儚かった。

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